女性の意識の早い目覚め、朝鮮の朴列を支えて日本帝国主義に抵抗し、殉死した金子文子が逝って87年。甲州市牧丘の旧母親家碑前の文子忌及び円光寺での茶話会に行ってきた。去年は出られなかったので久しぶりである。
これまで流布していた「文子」像が同名別人のもので、金子家に伝わる実像はこの通りだという。伝説の肖像は斜に構えて、眼光鋭く挑発的であった。今回見せられたのは、知的で品のいいな印象のものだった。
今年は韓国のウォンギョンの朴列・文子の記念館も落成するというし、浅川巧の伝記映画も反響はあるし、日本海を超えて多少の改善はあるかもしれない。
茶話会は殆どが「何が私をかうさせたか」のメンバーで、それに他の文子研究グループのメンバーが加わった。ここに、何と言ったらいいか、過激な野次馬的な夫婦も加わっていて、まるで見当外れの意見を開陳していた。曰く「文子と山梨は関係は殆どない」「文子は山梨の近世以来のアナーキズムの系譜に属する」云々。いい加減なことをいうもんだ。アナキスト文子というラベル付けも私はどうかと思っているのだ。
○○忌というものは世間に知られてくるに従って不快な狭雑物や考え方の極端に異なる人が加わってくる。排他的になることは如何かと思うが、適当な発言やミスリードは不快である。
今日の記念に三養醸造のつくった「文子のワイン」記念瓶(赤)をいただいた。文子が大伯母にあたるという金子敬氏(ハーモニカを演奏する写真)は、4年前、園のブドウをメルローに植え替えてワインづくりを志している。これも楽しみである。