新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/08/09 9:42:58|民俗・芸能
サイトウキネンフェスティバルin松本 20周年

もう20年になるという。


それにしても、情報通によれば、この企画は当初山梨にも打診があったそうだ。小沢征爾の筋であろう。


が、当時の県のトップや周辺は、企画の意義や将来への影響力、地域のバリューアップの効果をまるで理解せず、まともに対応しなかったというのだ。文化ホール、美術館、文学館と創立され、話題が博物館に及んでいた頃である。芸術文化通と噂されたトップの末期である。


この企画が松本で定着し、今や例年の世界的な音楽祭の一つになっていることをやっかむわけではない。深いため息とともに思うのは、時の行政のトップや県民には洞察力が必要だということだ。これは経済的な施策ばかりではなく、それを下支えする文化・芸術・教育の面において殊に重要性を感じる。資金力の貧しさもあるが、別種の貧しさもあるようだ。


「松本ぼんぼん」は別にどうということもないが、たとえばサイトウキネンや勘九郎襲名披露公演が盛大かつ粛々とうてるというのは、どうにも羨ましい。








2012/08/09 9:09:51|本・読書・図書館
水木亮の近著『老い焚く妖の記』

水木亮から近著『老い焚く妖の記』をいただく。新井白石の『老い焚く柴の記』を連想させる標題だが、こちらは「妖」である。


「癒しの館」が2008年の浦安文学賞、「海老フライ」が2007年の労働者文学賞。その他の「垢落とし」「コールセンター」「自治会員入門」「村の焼き鳥屋」はすべて書き下ろしというエネルギッシュぶりである。


歳をとってますます見えてきた地域と己(ことに性)。身につまされつつ、楽しんで読めそうだ。


版元は前著『艶笑唄・地方に残る生と性の労働歌』と同じく窓社。


雑誌「猫町文庫」も秋に原稿締め切り、暮れまでに4集刊行の予定で今年の後半をがんばらねばならない。








御崎神社の夏祭り

7月の末日。鎮守様である御崎神社の祭礼。これがくるとまさに夏真っ盛りと言う感じで、しかも人形(ひとがた)で体をふくと、本当にみそぎを受けた気になるから面白い。


去年は自らお参りできなかったから、ことしは特別の感慨をもって、とはいえ夕方の散歩リハビリのついでだけれど、出かけた。


梢の上に輝く月はちょうど満月。香具師が減ったからかややさびしい露店。


浦安の舞が始まり、素朴な、しかし言霊めいた歌謡に謎めいた手つきに魅かれる。御弊も打ち鳴らす鈴も魂(たま)ふりだなあ。「天津風雲の通ひ路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」だったか。


去年のことを思えば、自分も「よみがえり」だという思いがした。








2012/07/29 16:23:22|マリリン・モンロー
スズキシン一さんのこと

毎年、この時季になると増穂(当時)のスズキシン一宅で、賑やか、かつ大真面目で「マリリン忌」を挙げていたのを懐かしく思い出す。


スズキさんは甲斐市の山中にアトリエを新築して移り、病を発して2001年8月12日に亡くなった。まだ60代で、あっという間の死だった。誕生日と同様、命日もマリリンのそれと(5日)とても近い。


銀座の青木画廊で日本マリリン・モンロークラブを中心に「マリリン・モンロー没後50年記念展」が開かれている。主体はスズキさんの作品。どれもこれも顔見知りの懐かしい作品ばかりだ。


決死の覚悟で画廊を訪れ、酒田に住む実弟の勉さん(写真左)と奥さんの和美さんに会う。帰ってからスズキ作品を表紙にした(エッセイも掲載した)雑誌「猫町文庫」第二集を差し上げることにした。画廊の展示にも雑誌を加えてもらおうと思っている。


隣の洋食屋が、この猛暑のせいか、行列もなかったので、地下でタンシチューの昼食をとるというのを唯一の贅沢にして帰路につく。


 








2012/07/26 8:16:40|文学
金子文子のほんとうの肖像

女性の意識の早い目覚め、朝鮮の朴列を支えて日本帝国主義に抵抗し、殉死した金子文子が逝って87年。甲州市牧丘の旧母親家碑前の文子忌及び円光寺での茶話会に行ってきた。去年は出られなかったので久しぶりである。


これまで流布していた「文子」像が同名別人のもので、金子家に伝わる実像はこの通りだという。伝説の肖像は斜に構えて、眼光鋭く挑発的であった。今回見せられたのは、知的で品のいいな印象のものだった。


今年は韓国のウォンギョンの朴列・文子の記念館も落成するというし、浅川巧の伝記映画も反響はあるし、日本海を超えて多少の改善はあるかもしれない。


茶話会は殆どが「何が私をかうさせたか」のメンバーで、それに他の文子研究グループのメンバーが加わった。ここに、何と言ったらいいか、過激な野次馬的な夫婦も加わっていて、まるで見当外れの意見を開陳していた。曰く「文子と山梨は関係は殆どない」「文子は山梨の近世以来のアナーキズムの系譜に属する」云々。いい加減なことをいうもんだ。アナキスト文子というラベル付けも私はどうかと思っているのだ。


○○忌というものは世間に知られてくるに従って不快な狭雑物や考え方の極端に異なる人が加わってくる。排他的になることは如何かと思うが、適当な発言やミスリードは不快である。


今日の記念に三養醸造のつくった「文子のワイン」記念瓶(赤)をいただいた。文子が大伯母にあたるという金子敬氏(ハーモニカを演奏する写真)は、4年前、園のブドウをメルローに植え替えてワインづくりを志している。これも楽しみである。