新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/07/22 10:37:49|本・読書・図書館
知の地域づくり?

写真リーフレットの催しに行って来た。「県立図書館開館記念」とあるから、行かないわけにはいかない。予約制である。500人の講堂がさびしく見えないか心配していたが、よくぞ入った。まあ高齢者が多いのが、先々への希望という点では望み薄のような気がする。こういう催しについて、どうしてもっと若い世代に働きかけられないか? 私がリプリントして配った大学の学生で一人くらい来てくれていればうれしいのだが、確認はできなかった。


片山善博氏の考え方・実行力は素晴らしい。こういうひとが一県の知事だったこと、総務大臣でもあったことは奇跡に近い。実際、アジテーターとしても、実際家としてもこういう人がなにより必要なのである。


肥田美代子氏、仕掛け人というか立場上、発言は控えめ。かなり現実に辟易している館あり。


横内正明知事。時が時だけに微妙。図書館については、担当者の原稿中心の「巧言令色」。


阿刀田高図書館長。就任を後悔しているそぶり。そりゃそうでしょう。嬉しがってやれる仕事じゃない。どちらかと言えば道化になってしまうから。県民の知的レベルということを挑発的にしきりと述べる。


全体として、社会的・国家的インフラとしての図書館について、また、山梨の図書館についてもバランスよく、必要なテーマは取り上げられていた。ただこれでアリバイ証明が済んだと思われても困る。ひとの問題、機能の問題、運営等々、全ての課題はこれからだからだ。


「書店はその町の風格」という指摘もあって、書籍業組合への配慮というばかりでなく、実感として共感した。しかし、これは「民度」というだけでは片づけられないことではないだろうか。「公度」という点も大きい。


交流スペースを意義ある催しでジャックしたいものだと、改めて考えた。


帰り、図書館の施設管理面で指定管理者を受ける知人と会う。やや複雑。








2012/07/19 7:39:52|ことばグルメ
詩もつくろう

車の中から見かけて、びっくりし、そしておかしくなった。


地元には、「詩を作るより、田を作れ」という言葉があることをかねてからきいていた。よくいえば、遊惰を嫌い、勤勉をたっとぶローカリティ。露骨にいえば、文化的なものに関心が薄く実利主義であること。


文学館創設などという仕事をしている時には、この言葉がいやにリアリティを持って聞こえた。


それで、この標語である。あちらこちらで見かけた。誰が提唱して、集まった人々はどういう気持ちでこれを採択し、八代町のあちこちに掲げることになったのだろうか。そして、いまや町の人々はどういう気持ちでこれを目に入れているか?


来年は文化の国体「国民文化祭」が山梨で行われる。山梨は、「詩」=文化的には、はたしてどういう印象をもたれるだろうか。








2012/07/18 7:35:17|民俗・芸能
閻魔さまに断られる

古今亭志ん生は病気明けの正月二日の席へ出て、新春にふさわしいおめでたい「天女の羽衣」という噺を聴かせる。開口一番、


「あちらへ行きかけていたんですが、閻魔さまに、もうちょっとお客様のご機嫌を伺って来いと言われましたので、帰ってまいりました」


と笑わせてから、こうも続ける。


「それにしてもあちらへゆくとは、何とも気持ちのいいもんですな。このまま行きゃ借金も払わなくて済むし、万事思い残すことなしという心境です」


彼岸へ行きつつある自分の意識があればこそ、こう感じたというのだろうか? 


私などもそうだったのだが、彼方へ行きそうな時には、殆ど意識をなくしていたのだから「何とも気持ちのいい感じ」を抱くこともなく彼我の岸辺を彷徨っていたのである。まさに酔生夢死のまま彼方へ飛び去る可能性もあったということになろう。


こちらの岸に引き戻されたと自覚した時には、様々な措置や投薬のせいだろう、激しく追いつめられたような妄想ばかり強かったから、これまた、「気持ちのいい」とも、助かったとも意識されなかった。まして、「お客様のご機嫌を伺」うというような対象のある思いなど抱きようもなかった。


今になって、多くの人々や幸運によって救われたいのちだと観念的に思うだけである。


志ん生、気持ちが座っている。


辻村深月、直木賞受賞。生まれ育った地にテーマを求めて者を書いてゆくこと、素晴らしいし、物書きにはこれしかないのだと思う。彼女はこれで大衆的なところを超えるのではないか。先代の地元の直木賞作家のことを思えば、そう思うし、活躍を期待したい。








2012/07/08 8:30:05|民俗・芸能
落語の名人がいて幸せな時代だった

幸いな時代だったと時々思い巡らすのは、自分の生育過程が戦後の落語の黄金時代であったし、大家師匠連中が存命で噺をしていたことである。


もちろん田舎の子どもだから、そうそう高座を見に行くわけにはいかない。かわりにラジオでは毎日師匠連の噺を聴くことができた。仕草は流行し始めたテレビジョンによって、これまた毎日のように試聴できたのである。


先代および先先代のコオロギみたいな顔した金馬、円生、志ん生、柳好、正楽(もちろん先代だ)、正三、文楽、小さん、円歌、三平、痴楽、小さん治等々、そうそうたる顔触れが、老いてますます壮んなところを見せていた。


自分としては三遊亭円生の端正な語り口が馬鹿に気に入り、レコードから始まって、カセットの頃の「全集」を愛聴したり、まねてみるようになった。桂三木助なんかの芸を面白く聴いているうちに、噺の方も古今亭志ん生の噺っぷりにぞっこん惚れて、最初はカセット版の、後半はCDの「全集」を数十枚ため込んで、聞きふけっている。先日亡くなった立川談志のことを「天才か」と言う人もいるが、「天才」というのは、戦中から戦後に語りつないだ師匠連しかいないと、私は思う。しかも、師匠連は稽古の鬼であったというし、それぞれに完璧主義者だった。第一、扇子一本の内と外=芸人の域を守って、客に対して常に傲慢ではなかった。


志ん生の跡継ぎの馬生、志ん朝も聞くが、才気があってうまいと思うが、やはり線の細さというか神経質で真面目で、聞いていてつらくなる。長生きはできない人だなと感じてしまう。


最近の若手の噺も聴かなければと思いつつ、時間があれば師匠連に回帰するのである。そして、師匠連が二つ目、前座の頃の名の芸人に出合ったりすると、妙に評価が厳しくなるのも困ったことである。


今後もCD、DVDを見つける度に、自分は迷いながら買い続けるだろう。








2012/07/01 15:15:12|甲府
[峠]という名の停留所

不思議な停留所である。あたりには人家一軒ない。春か眼下の集落には、別の停留所がある。つづら折りの坂の下には大きな神社があって、そこにも停留所がある。


面白い停留所名が時々あって、「一軒家」だとか「蔵の前」だとか「ナントカ梅の木」などというのがある。そして、なんとなく名は場所を表している。


ここは「峠」である。


しかしながら、繰り返すが、この停留所の前にも後ろにもなにもありはしない。本当の峠という記号的ポイントを名乗っているにすぎない。時刻表によると、バスは一日に何度か発着をするが、おそらく人の昇降はまずないだろう。


まさに金峰山に「たむけ」られたポイントなのかもしれない。


甲府市御岳町(金桜神社上)