新聞、雑誌等に書いたもの、どっかでしゃべったこと、書き下ろし……の置き場です。 主に文学・歴史関係が多くなるはずですが、何にでも好奇心旺盛なので、どこまで脱線するか?!。 モノによっては長いのもありますが、興味のあるところから御覧下さい。
 
2012/06/23 13:30:58|本・読書・図書館
基本的な約束事は何処で学ぶのか?

学生たちに恒例の紙上ブックトークをさせている。子どもの学齢を小学校低学年から高校生のいずれかに設定し、彼らを相手にブックトークをし、ファイルで提出させたものを私がまとめて、彼らに返す。大げさにいえば、学んだことの「表現」=「共有化」を目指そうという訳だ。


トークはそれぞれ面白いし、話し手の気持ちもわかる。表紙を書いてくれる学生が今回も現れた。


殆どファイルで集めるから世話なしと思えるが、そうでもない。指示したフォームを全員が厳守する訳ではないから、これを統一するのもなかなか厄介である。フォームくらいなら我慢もしようが、とても困ったこともある。


出典、テキストを明記できないトークの少なくないことだ。自分が読んだ本の出版社、初版年、読んだテキストは第○版かについての記述だ。司書教諭の資格認定に関わる講座の一環だから、このあたりはいい加減にはできない。第一、これができなけりゃ、卒業論文はおろか、まともなレポートも書けやしまい。教育現場では相当蹂躙されている著作権の問題にもかかわることだ


一体、こういう社会的約束事に当たることは、どこでだれが学生に教えるのだろう? 学問的な内容は重視するものの、レポートを書く際の基本的な引用や喧嘩・ごますりの仕方(学問的な)などだ。そんなことはビジネススクールや専門学校あるいは就職支援の中でやることで、大学はもっと気高い学問をするところだ、と言っても、皆、学者として成功する訳ではないから、これにも矛盾がある。


いつかビジネス雑誌で、「こういうメールは駄目だ」的な特集があって、添削をしていた。見れば確かにビジネスメールとしての心構えは不可欠だし、大事なコーチングだと思われた。


こういう指導をきちんとやらずに、彼らのレポートが「コピペ」ばかりだと嘆いていても仕方がない。さらに基本中の基本も教えていないような気もする。彼らが就職してから苦しむ姿を見るのは、しのびない気がするのだが。


 








蛍橋@藤川

各地から「蛍だより」の聞かれる今日この頃だ。地域の人の努力で養殖されて放たれているのだろう。農薬の使用が減ったことも大きいだろう。


以前からその名をゆかしく感じていた蛍橋。昭和4年に架けられた橋だ。下を流れる川が藤川。旧甲府市立富士川小学校敷地の北の縁に沿って流れる。そう、JR中央線でもう甲府に着いた気がして乗客がみんな立ちあがる、そのあたりの南の車窓である。線路をくぐったつきあたりが甲府五山の長禅寺。


10日ほど前の夕方のローカルニュースで、「藤川の蛍橋近辺でもこの頃蛍が戻ってきた」と報じていて、そぞろうれしかった。やはり、古来、藤川のこのあたりは蛍で有名だったのだ。


我が家のある相川のほとりでも、私が子供の頃は、冷たく光る蛍をよく見かけた、掌に乗せると化学反応チックな臭いにおいを出して光っていた。また、草葉の陰にあの光を見かける時が来ないものかと夢想する。








2012/06/20 16:38:02|文学
御坂峠桜桃忌

6月17日は御坂峠の桜桃忌。


久しぶりの参加。というのも三沢一也さんが甲府の高等下宿「寿館」の写真発見について話すというから。


寿館と言えば、太宰治が御坂峠を降りて、甲府で初めて住んだ下宿である。三沢さんはそこの写った6×6版くらいのネガの束の中からこれを発見した。さすがに三沢さんというものである。


古い絵葉書など扱っている古本屋にいくと、神田でも松本でも、殆どか必ず「三沢さんという方がみえました」と聞く。彼がすごいのは、コレクションが絵葉書に留まらず、パンフレット、リーフレットなど甲府の関係なら、紙もの資料全般に及んでいることだ。


17日も三沢さんは旧白木町の窪田酒店の広告の入った昭和14年当時の電車時刻表も持ってきた。ネット上に仮設されている「峡陽文庫」のバックヤードはどれほどか見当もつかない。


久しぶりの顔に数々会う。皆「体調はどうかどうか」と聞いてくれる。消耗しきっていても、「なんとかコントロールできてます」と言うほかない。が、懐かしい人たちだ。


碑前で桜桃を捧げ、天下茶屋で茶話会。橘田茂樹さんが描いた「猫町文庫」第三集の「寿館」のレポートについてアピールすべきだったがうっかりした。


 








2012/06/19 17:03:49|アート
セザンヌ・パリとプロヴァンス

これまでもセザンヌは観られる限り観てきた。が、今回の展観が最大規模だ。


セザンヌはうまいのじゃない。印象派全般そう言えるが、技術的なことを言えば、むしろ下手だ。が、うまい下手の域を超えている。彼が生涯かけてどんな試みをしようとしていたのか、今回はよく分かった。いまさらながら「現代美術の御先祖」のように言われる所以でもある。


彼の人物はモジリアニやゴッホに引き継がれた。裸婦群像はルノアールだ。生物は東洋の洋画家にも影響を与えている。けれども、その「風光」は、真には、だれにも引き継がれていないように思える。


峠をうねうね越えて、あるいは曠野を遥々横切った末に、霞の中に蜃気楼のように尖塔が見えてくる。次第に明らかになってくる城塞の壁や人形。セザンヌの「風光」は、そこには人物が存在しないものの、巡礼の旅の果ての安堵と人のぬくもりを感じさせる。彼は、何も、「光」をとらえようとしたのじゃないし、けっして「視覚実験」でもない。


初めてみたが、「初期」の、タペストリーでも模写したのだろうか、風俗画(四季)にも興味を持った。素朴で典雅でいい。


展覧会は心配したほど混雑していなかった。上野よりは来づらいのだろうか。


セザンヌ展に比べ、エルミタージュ館展がハズレだと感じるのは、駆け足で観たせいばかりではあるまい。








2012/06/17 17:33:29|甲府
甲府一高サクランボ狩りクラス会

クラス会に行って来た。なんと昭和43年甲府第一高等学校3年6組、すなわち自分のクラスのだ。担任の新海博恭先生も元気にご出席。


先ず、南アルプス市西野の世話役功刀君のサクランボ畑で美味い実をさんざん食べ比べる。佐藤錦が旨いと以前から思っていたが、高砂という種類が甘酸相まってさらに美味しいと知る。同じ銘柄でも、樹によって味も違う。山梨発祥の富士アカネも極めて甘い銘柄だった。記念に一枝ふた枝もらう。


その後、甲府に移り、クラスの山田君のところの治作鮨で二次会。女子も含めて20人以上の参加は大したものだが、もともとは60人×12クラスというとんでもない団塊世代の学年だ。世話役の苦労が偲ばれる。


還暦も4年過ぎ、最終的な退職も迫り、ある傾向が出てきたことに注目した。とりわけ、山梨に実家があって遠くで仕事をしてきた者たちの、ある傾向だ。


それはいわゆるUターンとでも言うような傾向で、一人は家を新築している。一人は女房の反対で横浜と半々の居住になりそうだ。一人は数年前から郷里に第二の就職をし、そのままいつくようだ。身近の酒席でこれだけいるのだから、ほかにもかなりいそうだ。


彼らは改めて見直した郷里の美しさを語る、白ワインのうまさ、草ぼうぼうのハタケをなんとかしなければならない、とも。


トシばかりではないだろうと思う。


団塊の世代の作った大飯原発2基が再起動を強行されることになった。上の世代は財界で「近来まれにみる名総理」と持ち上げ、ひと世代下の世代は、「国家国民、地域民、産業のために重い決断をした」と強弁する。


国家百年を誰が真に憂うのか?