学生たちに恒例の紙上ブックトークをさせている。子どもの学齢を小学校低学年から高校生のいずれかに設定し、彼らを相手にブックトークをし、ファイルで提出させたものを私がまとめて、彼らに返す。大げさにいえば、学んだことの「表現」=「共有化」を目指そうという訳だ。
トークはそれぞれ面白いし、話し手の気持ちもわかる。表紙を書いてくれる学生が今回も現れた。
殆どファイルで集めるから世話なしと思えるが、そうでもない。指示したフォームを全員が厳守する訳ではないから、これを統一するのもなかなか厄介である。フォームくらいなら我慢もしようが、とても困ったこともある。
出典、テキストを明記できないトークの少なくないことだ。自分が読んだ本の出版社、初版年、読んだテキストは第○版かについての記述だ。司書教諭の資格認定に関わる講座の一環だから、このあたりはいい加減にはできない。第一、これができなけりゃ、卒業論文はおろか、まともなレポートも書けやしまい。教育現場では相当蹂躙されている著作権の問題にもかかわることだ
一体、こういう社会的約束事に当たることは、どこでだれが学生に教えるのだろう? 学問的な内容は重視するものの、レポートを書く際の基本的な引用や喧嘩・ごますりの仕方(学問的な)などだ。そんなことはビジネススクールや専門学校あるいは就職支援の中でやることで、大学はもっと気高い学問をするところだ、と言っても、皆、学者として成功する訳ではないから、これにも矛盾がある。
いつかビジネス雑誌で、「こういうメールは駄目だ」的な特集があって、添削をしていた。見れば確かにビジネスメールとしての心構えは不可欠だし、大事なコーチングだと思われた。
こういう指導をきちんとやらずに、彼らのレポートが「コピペ」ばかりだと嘆いていても仕方がない。さらに基本中の基本も教えていないような気もする。彼らが就職してから苦しむ姿を見るのは、しのびない気がするのだが。