キャンプの朝は早いです。 毎朝、6時20分から『朝の集い』を、行うので、 記事も、その時間に合わせてみようと思いまーす!!
ところで、この事業が始まったのは、 昭和63年の8月。 翌年から平成になり、現在は令和2年です。 途中一度の中止もなく、重ねた年月は33年目でした。 が、とうとうこのコロナ禍の中で中止となりました。
そして、この事業の「核」は、何かと云えば、 山梨県と八丈島(町)との、相互交流事業である―。 と、云う一点です。
海のない山梨の子ども達に、海洋体験をさせたい・・・。 そんな思いに応えて下さったのが、八丈でした。
最初に山梨の子がお邪魔させて戴いたその翌年、 今度は、八丈の子ども達が山梨を訪れ、 海では出来ない体験をする。
そして互いに交流をする―。 そんな繋がりが、 30余年を過ぎて今でも続いているのです。 こんな「お化け」の様な交流事業は、 全国的にも非常に希有な、絶対に途絶えさせたくはない、 「絆の事業」だと、思っています。
さて、この互いの交流機会の、 イチバン最初となるのが、この「交流の日」です。
ベースキャンプに八丈の子ども達を招いて、 レクゲームをしたり、 一緒に野外炊事をして食事したり、 メインプログラムとなる『サバイバル踏破』に向けて、 班の旗にメッセージをもらい、情報交換をして、 八丈の子の思いも背負って島を歩きます。
そして、山梨に帰ったら、 今度は清里で、オリエンテーリングなどを、 お互いに楽しみながら交流するのです。 その時のお昼ご飯には、 八丈の子ども達が丹精込めて打ってくれた、 手打ちそばが振る舞われるのです。
この素晴らしい交流の、 20年の節目。25年の節目。そして、30年の節目に、 立ち会わせて戴きました。
毎年島へ行くと、島の子ども達も、 「タイソン」って、声を掛けてくれるのです。 この嬉しさは、 本当に指導者冥利に尽きるものです。
これまでの交流の日には、猛暑の日もあったし、 雨の日も、台風接近の大荒れの日もありました。 それでも、その度に八丈と山梨の絆は、 強固になり続けています。
早くこのコロナ禍が終息して、 再びこの大切な絆を繋いでいきたいですね。
繋いだ絆は、途中にほころびがあったとしても、 それがぎゅっと締まれば、更に強くなります。
いつも変わらぬ最高のおもてなしで、 これからも、この交流の絆を繋いでいきましょうね!!
なので、今回の写真は、 色んな年からチョイスしましたよ。
青いTシャツの時が、30周年でした。 |