みんなで剣道やろうよ!〜 直心是道場〜 甲斐直心館(Kai-Jikishinkan)

山梨県・甲斐直心館(かいじきしんかん)は、「剣の理法の修錬による人間形成の道である」という剣道の理念に近づけるよう修業過程(稽古)を重視しています。「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」の旗の下、老若男女が自己の剣道確立に向けて、楽しみながら努力・研究・工夫しています。【稽古1】水曜夜18時50分〜20時15分・玉幡中ほか【稽古2】土曜朝6時〜中学生、7時10分〜小学生以下・甲斐直心館鷹野道場=甲斐市篠原3218-2【一般稽古会】土曜朝9時〜10時甲斐直心館鷹野道場=お問い合わせはchirochiro1965(a)yahoo.co.jpへお願いいたします。(a)は@に打ち直してください。
 
2010/08/21 15:24:27|稽古日誌
8.21朝稽古!

 朝稽古は小学生から高校生まで約20人が参加しました。学校の早朝作業やキャンプ参加などのために欠席者が数名いました。

 送り足の練習を重点的に、基本の足さばきを稽古しました。左足が右足に並ぶ人、または追い越してしまう人、左足を引きずってしまう人…。左足を軸に、左足で右足を送りだすから送り足というのに、歩み足になってしまう。ここが勝負どころです。

 面を着けてからは高学年以上は基本打ちのほかに「跳び込みゴテ→コテ抜きメン→メン返しドウ」の約束稽古をしました。難しいことは分かっていますが、高校生はすぐにできましたね。小中学生のころから技に触れておくことは大切です。

 22日の大会の集合時間は小瀬武道館前7時半に変更になりました。

 本日21日午後5時すぎから鷹野道場で稽古します。約10人の参加が見込まれます。都合の付く方は参加してください。
 








2010/08/19 7:36:56|稽古日誌
8.18稽古

 先生方のご指導で稽古は進んでいました。皆さんの面打ちを見たとき、直幸君の思いきりのいい面打ちが目に留まりました。あとは打った後に今の2倍くらい送り足で一気に抜けて、残心を取るようにすればいいでしょう。

 晃介君は自分で手拭いの目(鼻)隠しをして、打ったときにあごが上がる癖を直そうと一生懸命でした。素晴らしい。

 21日(土)は朝稽古を通常通りしますが、行事と重なり、参加できないという人も多くいます。夕方の鷹野道場での剣道教室への参加希望者も複数名いますので、夕方5時すぎから稽古をします。都合のつく方は積極的に参加してください。







2010/08/17 21:24:35|稽古日誌
夏休み最後の強化稽古!

 夏休み最後の強化稽古を8月16日、行いました。暑さの残る柔剣道場でしたが、30人近い小中高校生が参加してくれました。

 素振りの後、早速面を着けて約20分基本打ちをしました。切り返しの後、面打ち、小手面打ち、連続技、引き技、5本連続面などです。

 10分間の休憩後、3ブロックに分かれて練習試合を1試合1分で流しながら35分間行いました。小学校高学年組には面を着けたばかりの悠さんも参加し、試合の雰囲気を味わいました。しっかり構えられているのは素晴らしいと思いました。終盤に前に踏み込んでしっかりした面を1本放ちました。当たりはしませんでしたが、今後につながる大きな一歩でした。

 北村先生の講評にもあったように、まだまだ右手中心の打ちをしている人がほとんどです。左手をうまく使うことによって真っすぐの、冴え(さえ)のある打ちが生まれることを早く体で覚えてほしいと思います。

 最後に10分の地稽古を行いました。高校生、一部の中学生は駆け足で先生方に稽古をお願いしていました。この姿勢が当たり前です。動作を機敏に、前向きに取り組みましょう。







2010/08/16 8:15:31|随想・雑観
終戦記念日

 8月15日は終戦記念日。テレビは朝から玉音放送を流したり、戦争体験者の声を流したりしていました。65年もたつと、戦争を体験した人の声が日に日に遠いものになってしまう、そんな恐れが膨らんでしまいます。

 広島、長崎への原爆投下の後、新潟にも投下される予定だったとか、甲府盆地もその対象だったとかいろいろな話があります。


 正午のサイレンに合わせて黙祷しました。甲子園でも沖縄・興南高校の選手が黙祷しているのが象徴的でした。

 剣道も敗戦によって一時禁止されました。なぜ禁止されるに至ったか。剣道を通じて戦争のこと、平和のことをもっと考えていきたいものです。







2010/08/14 22:47:25|随想・雑観
日韓関係

 菅総理の談話から久々に日韓関係がクローズアップされています。

 1988年2月から3月にかけての大学卒業直前に米国、カナダ、韓国を一人旅してきました。途中、従兄弟と同行したり、大学の同級生と合流したり。2週間を超える、いわゆる「卒業旅行」でした。カナダはナイアガラの滝を見に行っただけですが、米国、韓国を選んだのは欧米、アジアの中で日本にとって今後ますます重要な関係の国になると考えたからです。

 韓国はちょうどソウルオリンピックを控えた時期でした。ソウルはかなりの都会でしたが、一歩大通りを外れると街角のあちこちにバナナの屋台があり、薬屋さんも非常に多かったことが印象に残っています。38度線の非武装地帯、板門店にも行きました。運動靴は禁物で、そのために革靴を持参したものです。

 銃を持った北朝鮮の兵士が間近にいるし、学生の私にとっては非常に緊張感のある場所でした。帰国後、ある全国紙の論説委員に話したところ「まったく緊張感などない」と一笑に付されましたが。

 板門店とともに見たかったのは3月1日の韓国の様子です。韓国にとって3月1日は日本からの独立記念日だからです。

 韓国では一定の年齢以上の方になると流ちょうな日本語を話します。実際に旅先で何人もの方に声をかけられました。でもなぜそれほど日本語が話せるかという歴史的背景を考えると複雑な気持ちになりました。

 1910年の「日韓併合」、そして1919年3月1日、独立運動が始まった。その日なのです。

 私が訪れたその日、あちこちの公園では人々が集まり、「サンミル(3.1)独立運動」を祝い、日本を糾弾する集会が行われていました。私は遠くからそれを眺めていました。

 学生の日のその体験を私はずっと心の底にしまっています。


 村山談話、小泉談話、そして菅談話。日韓関係にまた変化が訪れようとしています。







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