高校で将来の進路を考えたとき、「高校の体育教師」という志望が膨らんでいました。当時の甲府西高の体育に非常に魅力的な先生方が集まっていたことも大きく影響していると思います。でも、大学2年次(1986年)に山梨で「かいじ国体」が開かれるため、「当面は体育の教員の採用はほとんどない」という現実に直面し、志望変更しました。
ただ、志望大学は変わりませんでした。中学生の時にNHKテレビの剣道教室で見た筑波大に憧れを持ち続けていました。当初の体育学類から社会学類に志望変更はしましたが。学校推薦をもらって勇んで受けた推薦入試での「南と北」という題の小論文がうまく書けず、その内容について問われる面接もさえない内容でした。結果はもちろん不合格。共通一次試験(当時)などを経て、結果的に山梨県内の某大学には合格したものの、1次志望ではなく2次志望の体育での合格だったため、やはりかいじ国体の影響を考えて、東京の私立大への進学を決意しました。
その私立大も、入試の前日に入試要項を見たら、大好きな「倫理・社会」が入試選択科目にあり、あわてて武蔵小杉駅前の本屋さんに倫理・社会の参考書を買いに走っての一夜漬けチャレンジでした。運よく合格し、進学を決意して下宿探しを始めたら、キャンパスは飯田橋ではなく、その年から町田市に移転開学…。ここまで書いてきて、いかに場当たり的か、何の計画性もなかった人生かを反省しています。
大学で剣道も思い切りやりたかったですが、それ以上に取り組みたかったのは文章でした。あの推薦入試での悔しさは簡単に忘れられるものではありません。新宿の住友三角ビルに通い、ルポライターの鎌田慧さんや全国紙記者の文章講座を受けているうちに、新聞記者を目指している学生の講座があることを知りました。
いわゆるマスコミ受験塾ではなく、のちにテレ朝のニュースステーションのコメンテーターも務めた轡田隆史さんや全国紙論説副主幹もお務めになった青木利夫さんらに批評をいただきながら毎週テーマに沿って文章を書いていくものでした。
講座そのものよりも(失礼!)、その後の飲み会が非常に楽しく「背広の語源は、セフィルローだ(実際には諸説あります)」なんて、うんちくのオンパレード。「ものの見方」についていろんな大学の学生と語り合えたのが今でも私の財産になっています。
自己弁護するようですが、人生って計画通りにならないからこそ面白いのではないでしょうか。チャレンジしたからこそ挫折もある。チャレンジした結果、反省することはあっても後悔はありません。何もしなかったときに「やればよかった」という後悔の念がわき上がってくるのだと思います。
剣道の教えにある「一歩踏み込め、あとは極楽」。人生にも通じる言葉です。 |