みんなで剣道やろうよ!〜 直心是道場〜 甲斐直心館(Kai-Jikishinkan)

山梨県・甲斐直心館(かいじきしんかん)は、「剣の理法の修錬による人間形成の道である」という剣道の理念に近づけるよう修業過程(稽古)を重視しています。「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」の旗の下、老若男女が自己の剣道確立に向けて、楽しみながら努力・研究・工夫しています。【稽古1】水曜夜18時50分〜20時15分・玉幡中ほか【稽古2】土曜朝6時〜中学生、7時10分〜小学生以下・甲斐直心館鷹野道場=甲斐市篠原3218-2【一般稽古会】土曜朝9時〜10時甲斐直心館鷹野道場=お問い合わせはchirochiro1965(a)yahoo.co.jpへお願いいたします。(a)は@に打ち直してください。
 
2009/04/07 7:41:00|随想・雑観
ふたたび山梨QBのこと
 甲斐市のスポーツグループリーダー研修会での島立登志和GM(バスケW1リーグ山梨クィーンビーズ)の示唆に富んだ講演のことを先日、このブログに書きました。今朝の山梨日日新聞には山梨QBを一般社団法人「山梨クィーンビーズバスケットボールクラブ」を設立し、完全なクラブチームとして活動していくことを6日発表したと出ていました。

 バスケ日本リーグで前例のない完全なクラブ化。地域密着型のクラブに育てていくためには、ジグザグのドリブルの連続のように、たいへんな道のりであることは想像に難くありません。ホームのホームである甲斐市にある甲斐直心館としてもできる範囲の応援をしていきたいと思います。

 以前、J2のヴァンフォーレ甲府が経営の危機にあったとき、県ボランティア協会の当時の事務局長が強く訴えたことは「ピンチはチャンスだ」ということでした。よく耳にする言葉ではあっても、その時耳にした私は正直なところ、半信半疑でした。もちろんサポーター、関係者の献身的な努力があったからこそ、生まれ変わったわけですが、あのピンチがなかったら、JFL時代に観客数百人だったチームが、10年でその50倍、1万人を超える観客を小瀬に集めるチームに成長するなんて不可能だったでしょう。

 「ピンチはチャンス」。どんな時もこの言葉を心の中に留めておきたいものです。







2009/04/06 21:40:27|随想・雑観
宗左近先生のこと
 先日、高校時代の剣道部顧問で、現在は作家でもある恩師福岡哲司先生のことを書きましたが、大学時代、文学への熱い思いを伝えてくださったのが宗左近先生でした。何年か前に亡くなってしまったのが残念です。

 幼いころからよくNHK甲府のテレビかラジオで「宗左近さんの原稿で…」というフレーズを耳にした覚えがありました。大学でその名前の先生がいらっしゃったのですから、何か懐かしさのようなものも感じて、迷わず受講しました。先生は縄文土器を深く研究され、ランボオの詩についてもよく講義で取り上げました。戦争で母親を亡くし、救えなかった痛恨の念も話されていました。そんな思いを込めてか、「そうさ、こんちくしょう」と自分を奮い立たせ、「宗左近(そうさこん)」というペンネームにしたと学生時代聞いたこともあります。

 講義の中で今でも印象に残っているのは「歩み入る者に安らぎを 去りゆく人に幸せを」という言葉を紹介してくださったことでした。そしてこれを町民憲章にしている地域がある、と。「…文化の薫り高い町をつくります」というようなものが町民、市民憲章だというイメージがあった私にとっては衝撃で、そして新鮮でした。原語は欧州のもののようですが、日本で憲章にした地域は、山梨より北の地域だった記憶があります。今、ネットで検索すると、草津町が町民憲章にしているようです。その当時、宗先生が紹介してくださったのが草津町のことだったのかまでは定かではありません。

 甲斐市の竜王地区(旧竜王町)でも一時期は新住民、旧住民という呼び方をしていましたが、昔からこの地に住んでいる方のほうがよほど少なく、今では「新旧」などという表現はほとんど耳にしなくなりました。転勤などで縁あって一時期、竜王地区に住んでいる方もたくさんいるでしょう。県外から越してきて、学生時代をこの甲斐市で過ごし、大人になってまた出身地に戻っていく。そういう子どもたちにも「甲斐市で、山梨県で、剣道に一生懸命打ち込んだよ」という思い出をつくってもらえたら、と思います。

 「歩み入る者に安らぎを 去りゆく人に幸せを」。甲斐直心館はそんな団体でありたいと思います。







2009/04/05 22:25:40|稽古日誌
日本剣道形
 県内外の先生方と日本剣道形、地稽古をお願いする素晴らしい機会に恵まれた一日でした。
 
 宮城県出身で東京都目黒区の先生は私の大学の先輩のことをご存じで、地稽古では起こりの見えないはっとするような面を何度かいただき、大変勉強になりました。帰りがけにはオカリナで素晴らしい響きを奏でる、多才な方でした。

 ほかにも多くの先生方と交剣知愛を深めることができました。参加の先生方はどなたも笑顔が素敵で、剣道が大好きだという気持ちがひしひしと伝わってきました。カナダ人の剣士は4年半くらいの剣歴だと聞きましたが、切り返しが非常に上手で驚きました。柔らかく、左右均等に振れていたのが印象的でした。

 日本剣道形では1本目、3本目、6本目を中心に理合を学びましたが、あらためて日常の稽古での日本剣道形の修錬の大切さ、また子どもたちにも「木刀による基本技稽古法」を積極的に教えていきたいという思いを強くしました。

 ※山梨県剣道連盟のホームページの「平成21年度の年間行事予定表」が4月1日にアップされました。3月19日の支部事務局長会議で1600部を配布しましたが、ホームページ内の予定表は発行後の支部行事の変更なども反映しており、ダウンロードもできますので、ぜひご活用ください。







2009/04/05 15:52:56|随想・雑観
王仁塚(わにづか)の桜
 清哲の桜とくれば、同じ通り沿いにある王仁(わに)塚の桜(韮崎市神山町)も見ないわけにはいきません。個人的には5、6年前に初めて見た桜ですが、神代桜にも匹敵するほどの圧倒的な存在感があります。田園を歩けば八ケ岳をバックに、素晴らしい景色を写真に収めることができます。

 日本武尊の王子・武田王の墓と伝えられることから王仁塚と呼ばれ、樹齢300年のエドヒガンザクラです。

 この後、地元甲斐市(竜王地区)の信玄堤の桜、昭和・釜無工業団地の桜並木などを車から眺めましたが、桜はやはり日本人の心のふるさとだなという思いを強くしました。「いつもは街路樹としてしか意識していなかった並木も桜だったんだ。世の中にはこんなに桜が多かったのか」とあらためて思いました。







2009/04/05 15:52:07|随想・雑観
清哲公民館の桜
 帰りに清哲の桜が無性に見たくなりました。韮崎市清哲町は釜無川の右岸にあります。以前の清哲小学校の跡地は、清哲公民館(清哲会館)となって、校庭の桜は健在です。
 花見やソフトボールを楽しむ家族連れらの姿が見られました。

 清哲という地名は、「尽きぬ水上、樋ノ口の…」という歌でも有名ですが、合併でできた気品あふれる名前です。「水上」「青木」「折居」「樋ノ口」の4地区の合併に伴い、4地区それぞれから一文字ずつ取り、水からさんずい、青と合わせて「清」、折と、口を合わせて「哲」。漢学者の綿引東海先生が平等合併への思いを込めて考案したと記憶しています。平成の大合併で山梨県内は64市町村から28市町村へ半減しましたが、合併で果たして住みよいまちになりつつあるでしょうか。清哲のグラウンドに立って、ちょっとそんなことを考えました。







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