3日続けて、山梨県への海産物の流れをお話しします。 駿河湾からの海産物は、 陸路では魚尻線の中道往還を通って、甲府に届きました。 もう一つ、水路を使ったルートが、 今日ご紹介する、『富士川舟運ルート』です。
日本三大激流の一つである富士川は、 ここまでも触れて来た通り、駿河湾に注ぎます。 富士川舟運は、江戸時代後期から昭和初期まで、 沿岸の物流を支えて来ました。
元来は、甲州の国中地域の各地から、 年貢米を集めて富士川を下って駿河湾に至り、 更に清水(現 静岡市清水区)から、 江戸へと運ばれていました。 いわゆる上り船です。
上りがあれば、当然ですが甲州に戻る、 下り船もある訳です。が、 この下り船には、商人の荷物が載せられた訳です。 この荷物の中に、甲州人にとって重要な海の恵み、 塩や海産物もあったと云う事です。
駿河湾を出た船は、 岩淵河岸(現富士市)を出発します。
甲州に入ると、鰍沢河岸・青柳河岸・ そして黒沢河岸と進み、 甲州三河岸と呼ばれた河岸を経由して、 甲府に運ばれた訳です。
因みに黒沢河岸は、 現在の市川三郷町にありました。
特にこの鰍沢河岸の北側には、 鰍沢宿が栄え、舟運の拠点となっていました。
どの河岸も富士川の右岸にあり、 鰍沢河岸は現在、『富士橋』が、 架かる辺りにあって、国道52号線沿いに、 河岸跡の碑が立てられています。
また、舟運に使われていた船も、 富士橋から少し上流側の河川敷に置かれていて、 往事を偲ぶ事ができます。
コロナ禍で、なかなか遠出ができないこの頃ですが、 地元の歴史を探訪する、 『マイクロツーリズム』なんて云うのも楽しいと思います。
例えば、甲府駅からJR身延線に乗って、 鰍沢口駅まで電車に揺られ、そこから徒歩で、 小一時間も歩けば、 写真の碑も、船も見る事ができますよ(^_^)v
沿岸に身延線(現JR東海)も整備され、 陸路での物流が主体となり、富士川舟運も衰退しました。
が、同じ川を、今はクルマが海産物を運んでいます。
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