海なし県の山梨県が、 「魚食県」シリーズの第三弾です。 お気づきの事とは思いますが、 同じテーマでありながら、 その都度、敢えて投稿のジャンルを変えています。
で、今日のカテゴリーは、『レッツスタディー』です。 と、云うのも、これから自分がここに書く事は、 あくまでも想像の域であり、 『壮大な仮説―』なのです。
でも、あり得ない仮説ではないと思っていまして、 事の真偽は一旦置いておいて、 皆さんにも、同じ様に壮大な仮説を立てて戴いて、 思わぬ真相に近づけたら面白いなあ・・・。 って、思いました。
では、仮説のテーマとして、 山梨への海産物の流れを考えてみようと思います。
山梨県の魚食文化の背景にある、 海のある地域からの『魚街道』の一つとして、 魚尻線の駿河湾ルートがありました。
が、山梨で食べられている魚貝の中には、 駿河湾ルートのみでは説明しにくいものも多いです。
中でも、宮城県・岩手県などを拠点とした、 『みちのく(東北地方)ルート』があった―。 と、考えているんです。
そして、みちのくルートの中継地にも、 山梨県と似た魚食文化が根付いている―。
って云う、壮大な仮説です。 考えるだけなら、タダですし自由ですので、 自分がこれから書く事に、 あれこれツッコミを入れて戴きながら、 皆さんもレッツ、シンキングターイム(^_^)v
では、始めますよ。左の写真をご覧下さい。
先ずは、上の写真です。 どう見ても二枚貝ですが、何の貝か分かります? この貝は、「ホッキ貝」です。 ホッキ貝は、正に東北や北海道など、 北の海が漁場の大型の二枚貝です。
北海道では、「北寄貝」って表記されるくらい、 寒い地方の海産物です。 太平洋側では、茨城県より北にしか棲息していません。
なので、東北エリアでは馴染みの深い貝なのですが、 関東以西では、余り馴染みのない貝だと思います。 まあでも、輸入物などは回転寿司屋さんのネタとして、 広く出回っていますから、 名前くらいは知っていらっしゃるかもですね(^_^)v
ところが、そのホッキ貝を、 山梨県では、昔から珍重していました。 生ではなく、乾物としてです。 それが、下の写真の「姥貝(ウバガイ)』です。
主に出汁を取ったり、戻してから甘辛く煮て食べたり、 そう云う使い方をして来た様です。
加えて、山梨では養蚕業が盛んだった事もあり、 桑の葉が伸びる時季は家族総出で、 『おぼこさん』の、世話に明け暮れていました。
なので、乳児を抱えるお母さんは、 おばあちゃん(祖母)に、 ご自身の本当の「ぼこ」の世話を任せていました。
皆さんもご存じの通り、甲州弁で子どもの事を、 「ぼこ」って、云いますよね。 お蚕さんは自分の子どものように、 手を掛け世話をすれば、 それだけ繭が高く売れたそうです。
蚕が、我が子と同じ様に大切な存在であった事から、 わざわざ「お」を付けて、 「おぼこさん」と、呼びました。
そして、我が子(ぼこ)には、 乾物になったホッキ貝の長いベロの部分を、 おばあちゃんが、オッ○イ代わりに咥えさせていた―。 そんな話しも聞いた事があります。
なので、オッ○イ代わりの乳母の貝―。 おばあちゃんがあげる姥婆の貝―
こうやってホッキ貝の乾物が広く、 山梨県内に食文化として広がって行った様です。
姥貝は乾物なので、 おそらく、陸路だけで県内に運ばれた―。 と、そう云う訳ではないでしょう。
宮城県や、岩手県などで水揚げされたホッキ貝は、 おそらく加工された後、 一旦は船で福島県のいわき(小名浜港)とか、 もしくは、駿河まで船で運ばれて来た―。 のでは、ないでしょうか!?
そこからは陸路で、 先の魚尻線と富士川舟運を使ってとか、 塩の道(北国街道)を経由して届けられた―。 そんな風に想像しているのです。
岩手県を納めていたのは南部藩です。 南部藩は元を正せば、武田の家臣であった南部氏が、 徳川によって守られ、根付いた藩だと聴きました。 ですから、遠くにあっても、 甲斐の国の事を気に掛けていたと思います。
『ホッキ貝』だけで、 想像(妄想)がここまで広がりました。 実はもう一つ、気になっている海産物があります。
その素材も、おそらく「みちのくルート」だと、 自分は踏んでいるのです。
なので、後編でその海産物について、 再び、思いを広げてみたいと思います。
さあ、あなたならどう考えますか(^o^)/
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