夢を育むお手伝い。    HOOK(フック) かんきょう 『協育』事務所へようこそ!!

HOOK(フック)とは、釣り針のことです。 子供たちが思い描く夢や希望を、 質の良い自然体験活動と、環境教育のワークショップなどを通じて育てることを支援させて戴きます。 大切な子供たちは、たくさんの人たちの「協力」があって健全に育ちます。 是非この『協育』に、お手伝い下さい。
 
2020/08/16 9:00:00|その他
海洋道中アーカイブス16 島学習の日(急な取り組みでも・・・)

海洋道中では、
台風により、予定を変更せざるを得ない時が、
過去にも何度かありました。

一日早く引き上げざるを得なかった時、
一日帰宅が遅くなってしまった時、
更に2019年度は、2日も短くなってしまいました。

台風の進路を見極めて、
可能な限りリスクを抑えること―。
この事こそ、
我々大人がしっかりとジャッジしないといけない、
最も大事な役割でもあります。

2016年の海洋道中では、
台風が接近する中で、
より体験が充実するような活動を模索しました。

翌日に最も八丈に接近する―。
と、されていた台風を、
テント撤収を一日早めて、
避難先である三根小学校に2泊する事とし、

本来、撤収に充てる日に、
急遽、「島学習の日」を、セッティングしたのです。

5つの班を半分に分け、
班ごとに島の自然や文化について予習し、
その成果を持って、島の施設を回り学習する―。
そんな一日としたのです。

単に観光地を回るのではなく、
予習を行うことで課題を見つけ、
施設の方に質問をして知識を習得したり、
改めて島の文化を再認識する事に繋がったのです。

本当に急ごしらえのプログラムではありましたが、
子ども達は積極的に学び、
意欲的に活動してくれました。

こんな風に、目的をしっかり示せば、
中学生達は、非常に積極的に動ける事を、
改めて大人の方が認識させてもらい、
大人達も、子ども達の姿に学べた一日でした。

写真は上から

1枚目・・・島の伝統工芸である黄八丈織りについて、
     一から学びました。そうしたら、
     アイヌ民族との共通点が、
     幾つも見つかって・・・


2枚目・・・八丈島植物園の前で集合写真


3枚目・・・八丈島ビジターセンター
     お約束の顔パネル!!

 







2020/08/15 8:00:00|その他
海洋道中アーカイブス15 今日は終戦記念日ですね
8月15日―。
今日は終戦記念日ですね。
先の8月6日・9日は、広島・長崎に
原爆が落とされた日でした。

戦争を知らない世代が大半になった今、
改めて「平和」の、尊さを伝えていくためにも、
戦争で起きた事実を、決して風化させてはなりません。


ところで、八丈島はかつて太平洋戦争に於いて、
自然の要塞として機能していた事実を、ご存じでしょうか?

特に我々がベースキャンプを張る垂戸地区は、
海から攻撃して来るであろう敵に対し、
最前線で攻撃ができるアジトの様な場所だったと聞きます。

上陸した間際は、篠竹などが生い茂って居り、
こちらに隠れて射撃する事で、
最前線の敵は叩けたでしょう。

75年前の夏―。
八丈は戦況が悪化する中で空爆を受け、
島内の様々な場所で、
自決する島民の姿も多くあったそうです。

また、島民の疎開先の一つに、
山梨県があった事も、
島の方達が、無条件で我々を支えて下さる、
理由の一つだと言えるでしょう。

具体的に島の何処かは、
敢えてこのブログでは申しませんが、
多くの犠牲の上に、今の平和があることだけは、
決して忘れてはなりません。

注:写真と文章の内容については、
  一切関連性はありません。




 







2020/08/14 11:52:03|その他
海洋道中アーカイブス14 流刑にされた戦国のヒーロー
前の八丈太鼓の投稿でも少し触れましたが、
八丈島に流刑された人は、
身分が高い人が多く居ました。

その中でも、戦国大名として名高い、
宇喜多秀家(うきたひでいえ)が、
最も有名だと思います。

関ヶ原の合戦で秀家は、
石田三成が率いる西軍(即ち豊臣方)の、
副大将格として参戦しますが、
ご存じの通り西軍は敗れ、豊臣の世は終わりました。
その後、徳川家康が天下人となり、
江戸に幕府を開いて、江戸時代が始まるのです。

さて、戦いに敗れた秀家は薩摩に逃げますが、
その後、島津家によって、
徳川家康に引き渡される事になります。
が、家康は、秀家を殺すことは選ばず、
1606年(慶長11年)の四月に、
秀家33歳の時に、八丈への流刑を命じたのでした。

敵方の副将だった強者ですから、
処刑されても仕方ない筈ですが、
流刑にとどめたのは、
秀吉よりも、秀家の妻の豪姫の父である、
前田利家へのリスペクトであろうと、
個人的には思っていますが、
真相は分かりません。

その豪姫と秀家は、引き離されてしまうわけですが、
実は流刑後も、豪姫とは文などで、
交流はずっと続いていたのだそうです。
いわゆる密通ではありますが、
それを黙認していた家康の懐の深さを、
感じずには居られません。

ところで、島の随所に秀家の生きた証が、
今も残されている訳ですが、
サバイバル踏破の道の途中、南原千畳岩付近から、
遠い故郷を眺める様に座っている、
宇喜多秀家とその正室であった豪姫の像があります。

実は、自分が最初に島に行った時には、
秀家は一人で座っていました。
その後、秀家と豪姫の強い絆が分かって以降、
島の人たちは、最愛の豪姫を、
秀家の隣に座らせたのです。島の人々が、
どれくらい秀家をリスペクトしていたか、
非常に良く分かるエピソードですよね。

一方、秀家が島で暮した住居の後は、
南原エリアではなく、
島の中心の大賀郷エリアにあります。

以前、歴史が好きな女子の参加者が、
どうしても墓参したいとのことで、
自主活動で望みを叶えた事もありました。

秀家は、戦国一のイケメンだったとも言われて居て、
今も人気の高い戦国ヒーローですが、
豪姫を終生思いながらも、島を愛し、
島で生涯を閉じた秀家を、そっと見守っています。
そんな島の優しさで、
秀家は今も、八丈の自然と共に居る気がします。







2020/08/13 11:26:55|その他
海洋道中アーカイブス13 八丈太鼓に酔う
毎年、八丈での最後の夜に、
島の伝統芸能である『八丈太鼓』の、
演奏を聴かせて戴いています。

演者は、先の投稿でもお話ししました通り、
世界にも名を轟かす「六人会」の、皆さんです。

今日は、この八丈太鼓の歴史や、
幾つかの打ち方を紹介させて戴きながら、
行けなかった八丈キャンプへ、
思いを馳せてみようと思います。

一体いつ頃から、この八丈太鼓が叩かれていたか―。
その根拠となる詳しい文献は、まだ無い様なのですが、
諸説ある中で、江戸時代には叩かれていた―。
と、云うのが、一般的なんだそうです。

誰が最初に叩いたのかは不明なんだそうですが、
島に流された「流人」は、武士が多く、
腰の刀をバチにして太鼓を叩く事で、
憂さを晴らしたとも聴きます。

島へ流されるのは、政治犯などが多く、
身分が高く知識人が多かった事から、
島民は流人をぞんざいに扱うことは決して無く、
手厚く保護したとも聴いています。

いつからか、一台の太鼓を台座に横向きに置き、
両方の面に一人づつの演者が構え、
一人はリズムを正確に打つ「下打ち」と、
もう一人は、それに合わせて即興で打つ―。
「上打ち」が、セッションする形が定着しました。

この打ち方を「ゆうきち」と言って、
代表的な打ち方です。

さよならレセプションでの演奏は、
先ずこの「ゆうきち」から始まるのです。

次に披露して下さるのが「ほんばたき」です。
これには太鼓には珍しい「挿入歌」があり、
毎回、見事な甚句を聴かせて戴き、
染み入る様なほんばたきには、
何回聴いても、感動してしまいます。

その歌詞、もう17回も行っているので、
おおよそ覚えてしまい、
ほんばたきの時には、邪魔してしまわない様に、
自分も小声で歌っています。

「太鼓叩いて 人様(ひとさま)よせて 
 儂(わし)も逢いたい 方があるよ」

「三根(みつね)倉の坂 坂真ん中(さかまんなか)で 
  出船ながめて 袖しぼるよ」

そして、太鼓を打ってみたい子どもを募り、
下打ちに合わせて、ゆうきちの基本を教えて下さいます。

山梨にも、幾つか伝統の太鼓があるので、
割と打ちたい子が多いんです。

たまに、驚くほど見事にバチを捌く子もいましたよ(^o^)

フィナーレは、『しゃばたき』と、云う
勇壮な打ち方で下打ち、上打ちが、
見事に切り替わりながら、最後はバチっと決まります!!

かっけー!!

来年はまた絶対に聴きたい八丈太鼓です。







2020/08/12 7:20:19|その他
海洋道中アーカイブス12 忘れえぬ景色3 (八丈ブルーに染まって)

八丈の深く澄んだ海の色を、
我々は、『八丈ブルー』と、形容しています。

その八丈ブルーに、
毎日の様に癒やされ、励まされ、勇気付けられて、
キャンプの日々を過ごすのです。

その八丈ブルーに、どっぷりと浸かり、
身も心も染められるのが、スノーケリング体験です。

我々がスノーケリングをさせて戴く底土海岸は、
透明度が非常に高く、マスク越しに海底を覗けば、
広がるテーブル珊瑚の合間から、
色とりどりの魚たちが飛び出して来て、
感動の余り声を出そうとして、
逆に海水を飲んでしょっぱい体験をした子もいますが、
この海の青さを、これまで参加した子ども達も、
これから参加してくれる未来の子ども達も、
きっと忘れる事はできないでしょう。

昨年は、なんとアカウミガメまでお目見えしてくれて、
海洋道中史上「最高の海」だとの、
地元スタッフからも、こんな海は、滅多にない!!
と、絶賛されたコンディションでした。

この八丈ブルーが、
この先もずっと同じであります様に、
海について考えていかねばならないでしょう。

八丈ブルーよ永遠なれ!!

写真は上から

1枚目
八丈ブルーに染まる― 
言葉は要りませんね。

2枚目
テーブル珊瑚とムロアジの群れ―
ムロアジの青も、八丈の青に染まる・・・

3枚目
見事なテーブル珊瑚と回遊魚たち
ひときわ青い魚は、ソラスズメダイです。
海の青、空の青、八丈の青!!