夢を育むお手伝い。    HOOK(フック) かんきょう 『協育』事務所へようこそ!!

HOOK(フック)とは、釣り針のことです。 子供たちが思い描く夢や希望を、 質の良い自然体験活動と、環境教育のワークショップなどを通じて育てることを支援させて戴きます。 大切な子供たちは、たくさんの人たちの「協力」があって健全に育ちます。 是非この『協育』に、お手伝い下さい。
 
2020/08/18 13:59:39|その他
海洋道中アーカイブス18 八丈は星の産地★
ベースキャンプだけではなく、
八丈の夜は、本当に素晴らしい星空が、
我々を待っていてくれます。

余計な灯りがないので、
山梨でも見ることが難しいたくさんの星々が、
満天の空を輝かせるのです。

その星たちに、我々はどれだけ癒やされ、
自分が自然の一部であることを、
実感させられたでしょう。

天気が良ければ、その素晴らしい星空を、
毎日満喫できるのですが、
時には、そんな余裕さえない時もあります。
でも、だからこそ、見守ってくれている観を、
体中で感じるのです。

ベースキャンプに段ボールを広げて敷いて、
夜空を見上げれば、流れ星が飛び交い、
天の川の流れまでもが、手が届きそうなほど、
間近に見えるのです。

台風接近で、急に帰らなければいけなくなった、
あの時の星空は、涙にかすんでいたかもしれない。
でも、ずっと我々に優しい空なのです。

八丈は星の産地★
今日は横間ヶ浦の星空を、
ご覧ください。







2020/08/17 11:16:18|その他
海洋道中アーカイブス17 海洋道中でのゴミ処理
例えキャンプではあっても、
やはりゴミは相応に出てしまうものです。

海洋道中の取り組みの中で、
我々が最大の目標は、
「来た時よりも美しく!!」です。

ですから、ゴミの量を減らすために、
分別は勿論、他にも様々な取り組みをしています。

例えば、燃えても害のない紙類のゴミは、
薪への着火に使います。
割り箸が出た際も着火材にします。

ペットボトルは中を洗浄し、
ラベルとキャップを分けます。また、プラ製品は、
表示に従い分別します。

食事の際に出る生ゴミについては、
極力、食べきれる分だけ炊いて、
残飯を減らす努力を怠らず、
食材も食べきる・使い切るを、
基本に残食自体を無くす取り組みを続けています。

こうした取り組みをずっと続けていると、
ゴミが不自然な場所にあることについて、
子ども達が、違和感を覚えるシーンも度々出てきます。

2018年度の海洋道中では、こんな事がありました。
スノーケリングで使わせて戴いている海岸から、
少し離れた岩場が多い場所に、
多くの漂着ゴミを見つけた子ども達―。

自主活動でスノーケリングをする子ども達の中から、
「どうしてもあのゴミを拾って綺麗にしたい―」と、
問題提起があると、多くの子どもが同調し、
この年は、スノーケリングじゃなく、
ビーチクリーンをしようと言う流れになりました。

これを島の方に話すと、
先ずこのゴミがあった事に対して子ども達への謝罪と、
「ぜひ、お手伝いしてください。」と、
協力の意思を示して下さいました。

これは、指導者側から何のアプローチをした訳ではなく、
あくまでも自発的なアクションだったのです。
環境への意識が、確実に広がっている事に感動しました。

が、あいにく台風の接近で、自主活動そのものが、
中止となってしまった為、
この活動は実践には至りませんでしたが、
これこそ、環境教育の真たるものだと思いました。

プラスティックゴミなどによる海洋汚染を、
これ以上悪化させないために、派手なことではなく、
出来ることをコツコツ続ける事―

それこそが最も求められているのではないでしょうか。
子ども達の意志の力に感動した夏でした。









2020/08/16 9:00:00|その他
海洋道中アーカイブス16 島学習の日(急な取り組みでも・・・)

海洋道中では、
台風により、予定を変更せざるを得ない時が、
過去にも何度かありました。

一日早く引き上げざるを得なかった時、
一日帰宅が遅くなってしまった時、
更に2019年度は、2日も短くなってしまいました。

台風の進路を見極めて、
可能な限りリスクを抑えること―。
この事こそ、
我々大人がしっかりとジャッジしないといけない、
最も大事な役割でもあります。

2016年の海洋道中では、
台風が接近する中で、
より体験が充実するような活動を模索しました。

翌日に最も八丈に接近する―。
と、されていた台風を、
テント撤収を一日早めて、
避難先である三根小学校に2泊する事とし、

本来、撤収に充てる日に、
急遽、「島学習の日」を、セッティングしたのです。

5つの班を半分に分け、
班ごとに島の自然や文化について予習し、
その成果を持って、島の施設を回り学習する―。
そんな一日としたのです。

単に観光地を回るのではなく、
予習を行うことで課題を見つけ、
施設の方に質問をして知識を習得したり、
改めて島の文化を再認識する事に繋がったのです。

本当に急ごしらえのプログラムではありましたが、
子ども達は積極的に学び、
意欲的に活動してくれました。

こんな風に、目的をしっかり示せば、
中学生達は、非常に積極的に動ける事を、
改めて大人の方が認識させてもらい、
大人達も、子ども達の姿に学べた一日でした。

写真は上から

1枚目・・・島の伝統工芸である黄八丈織りについて、
     一から学びました。そうしたら、
     アイヌ民族との共通点が、
     幾つも見つかって・・・


2枚目・・・八丈島植物園の前で集合写真


3枚目・・・八丈島ビジターセンター
     お約束の顔パネル!!

 







2020/08/15 8:00:00|その他
海洋道中アーカイブス15 今日は終戦記念日ですね
8月15日―。
今日は終戦記念日ですね。
先の8月6日・9日は、広島・長崎に
原爆が落とされた日でした。

戦争を知らない世代が大半になった今、
改めて「平和」の、尊さを伝えていくためにも、
戦争で起きた事実を、決して風化させてはなりません。


ところで、八丈島はかつて太平洋戦争に於いて、
自然の要塞として機能していた事実を、ご存じでしょうか?

特に我々がベースキャンプを張る垂戸地区は、
海から攻撃して来るであろう敵に対し、
最前線で攻撃ができるアジトの様な場所だったと聞きます。

上陸した間際は、篠竹などが生い茂って居り、
こちらに隠れて射撃する事で、
最前線の敵は叩けたでしょう。

75年前の夏―。
八丈は戦況が悪化する中で空爆を受け、
島内の様々な場所で、
自決する島民の姿も多くあったそうです。

また、島民の疎開先の一つに、
山梨県があった事も、
島の方達が、無条件で我々を支えて下さる、
理由の一つだと言えるでしょう。

具体的に島の何処かは、
敢えてこのブログでは申しませんが、
多くの犠牲の上に、今の平和があることだけは、
決して忘れてはなりません。

注:写真と文章の内容については、
  一切関連性はありません。




 







2020/08/14 11:52:03|その他
海洋道中アーカイブス14 流刑にされた戦国のヒーロー
前の八丈太鼓の投稿でも少し触れましたが、
八丈島に流刑された人は、
身分が高い人が多く居ました。

その中でも、戦国大名として名高い、
宇喜多秀家(うきたひでいえ)が、
最も有名だと思います。

関ヶ原の合戦で秀家は、
石田三成が率いる西軍(即ち豊臣方)の、
副大将格として参戦しますが、
ご存じの通り西軍は敗れ、豊臣の世は終わりました。
その後、徳川家康が天下人となり、
江戸に幕府を開いて、江戸時代が始まるのです。

さて、戦いに敗れた秀家は薩摩に逃げますが、
その後、島津家によって、
徳川家康に引き渡される事になります。
が、家康は、秀家を殺すことは選ばず、
1606年(慶長11年)の四月に、
秀家33歳の時に、八丈への流刑を命じたのでした。

敵方の副将だった強者ですから、
処刑されても仕方ない筈ですが、
流刑にとどめたのは、
秀吉よりも、秀家の妻の豪姫の父である、
前田利家へのリスペクトであろうと、
個人的には思っていますが、
真相は分かりません。

その豪姫と秀家は、引き離されてしまうわけですが、
実は流刑後も、豪姫とは文などで、
交流はずっと続いていたのだそうです。
いわゆる密通ではありますが、
それを黙認していた家康の懐の深さを、
感じずには居られません。

ところで、島の随所に秀家の生きた証が、
今も残されている訳ですが、
サバイバル踏破の道の途中、南原千畳岩付近から、
遠い故郷を眺める様に座っている、
宇喜多秀家とその正室であった豪姫の像があります。

実は、自分が最初に島に行った時には、
秀家は一人で座っていました。
その後、秀家と豪姫の強い絆が分かって以降、
島の人たちは、最愛の豪姫を、
秀家の隣に座らせたのです。島の人々が、
どれくらい秀家をリスペクトしていたか、
非常に良く分かるエピソードですよね。

一方、秀家が島で暮した住居の後は、
南原エリアではなく、
島の中心の大賀郷エリアにあります。

以前、歴史が好きな女子の参加者が、
どうしても墓参したいとのことで、
自主活動で望みを叶えた事もありました。

秀家は、戦国一のイケメンだったとも言われて居て、
今も人気の高い戦国ヒーローですが、
豪姫を終生思いながらも、島を愛し、
島で生涯を閉じた秀家を、そっと見守っています。
そんな島の優しさで、
秀家は今も、八丈の自然と共に居る気がします。