夢を育むお手伝い。    HOOK(フック) かんきょう 『協育』事務所へようこそ!!

HOOK(フック)とは、釣り針のことです。 子供たちが思い描く夢や希望を、 質の良い自然体験活動と、環境教育のワークショップなどを通じて育てることを支援させて戴きます。 大切な子供たちは、たくさんの人たちの「協力」があって健全に育ちます。 是非この『協育』に、お手伝い下さい。
 
2015/01/15 17:22:00|その他
フィールド観察授業 その後(母なる川への帰還 鮭の一生を見つめる3)

今日は小正月―。
昨夜は、「どんど焼き」などで、
盛り上がった地域もある事でしょう。
でも、一変、雪の一日となってしまいました。
この雪を降らせたのは、『南岸低気圧』。
そう。あの2月の大雪の時と、同じ様な気象状況です。
重たい雪ですから、お車の運転とか、
雪かき作業中の事故には、くれぐれも気を付けて下さいネ


さて、更新が暫くご無沙汰してしまいました。
改めまして、今年も宜しくお願い致します。
新年最初の記事は、
昨年お伝えした、鮭の一生シリーズの続きです。

去る1月8日(木)に、
今年最初の専門学校の授業に行って参りました。

そして、嬉しい事実がありました!!
そうです。あの時に戴いて来た、
鮭の卵から、小さな命が生まれていたのです。

野生生物保全学科の学生達が中心になって、
水の循環が、滞る事が無い様に世話を続けてくれ、
見事にたくさんの仔魚たちが、生まれたのです。

それでも、やはり幾つかの卵は、
そのまま「死卵」と、なってしまったと聞きました。

お腹には、まだ卵のうがついたままですが、
水槽の中で群れをなして、元気に泳ぎ回っています。

このまま暫く、飼育と管理を続け、
K川の漁協さんと連絡を取り合いながら、
同じタイミングで、
再びK川に放流する運びとなりそうです。

学校で生まれたこの子たちが、
大きな鮭になって、再びふるさとの川に、
戻って来てくれる事を、願わずにいられません。

元気に生きろよ!!







2014/12/08 8:08:08|活動報告
フィールド観察授業 (母なる川への帰還 鮭の一生を見つめる2)

前回に引き続き、鮭の遡上観察授業の報告です。
今回は、この母なる川である、
K川漁業協同組合様が、鮭を守り続けて行く為に、
地道に続けていらっしゃる、
様々な取り組みについて、お話しを伺う事ができました。

川原で暫く、鮭と鮭漁を見せて戴いた後で、
組合長様が、我々の為に、お忙しい時間を割いて、
丁寧に、丁寧に、お話しして下さいました。

鮭が、産卵後に受精してから、孵化する為には、
シビアな水温管理が、
非常に重要である事を教えて下さいました。
毎日の水温を計測し、その水温を積算していき、
ある、決まった水温に達した時に、
孵化が始まるのだそうです。

しかし、孵化直後に川に放ってしまうと、
たちまち多くの天敵に狙われ食べられてしまいます。

そこで漁協では、川の上流のある場所で、
孵化後、ある程度の大きさになるまで飼育してから、
川に戻してあげるのだそうです。

この時、ここで生まれた鮭達が、
何処まで旅をし、もし旅の途中で採捕されてしまっても、
それが何処の川で生まれた個体であるのかが、
鮭の頭の内部にある「耳石」の、輪の幅によって、
識別できるという事を伺いました。

この話を伺った時に、
単純に驚いたのと、人と鮭との間に、
この様な繋がりがあるのだと云う事に、
深い感銘を覚えました。

もはや、鮭は世界の宝の様な貴重な資源ですから、
国際的に保全していかなければなりません。
ですから、地球温暖化と云う事に対して、
大きな危機感を抱いて居らっしゃる事を、
組合長さまの言葉の端々に感じました。

また、実際に雌の鮭から「採卵」し、
雄の精子をかけて、受精卵にするまでの、
一通りの行程も見せて戴きました。

卵には、小さな穴が開いて居り、
産卵後、直ちに受精させないと、そこから水が入り、
その卵は、「死卵」と、なってしまうのだそうです。

それを極力させない為にも、人工授精が必要な訳です。
採捕されたばかりの雌のお腹から、
まるでルビーの様な卵が用意された洗面器へと放たれ、
直ぐに雄の精子をかけて受精卵とし、
その後、川の水に入れてあげることで、
卵の中では、新しい命への、細胞分裂が始まります。

その受精卵を、学校で飼育してみると良い―。
との事で、貴重なその受精卵を、戴いたのです。

管理方法を教えて下さり、
小さな命の種が、学生達の手に委ねられました。

順調に管理できれば、
二月には発眼卵となり、三月には孵化が始まるそうです。
非常に楽しみではあるものの、
命を預かる「重み」も、きっと学生達は感じた事でしょう。

この命が無事に生まれ、
再び、母なるK川に放たれ、戻って来てくれたら・・・
その日を信じて、その卵を預かりました。

学校に帰ってからは、
自分と相棒の先生と一緒に、
新ためて「鮭」に、ついて学び、
「鮭」に、ついて考える時間を設けました。

今回の授業が、学生達の胸に、
強く響いたと確信しました。

また、来年以降も、引き続きできる事を願っています。

写真は上から、
1枚目・・・組合長さんのお話しを真剣に聴く学生達

2枚目・・・採卵風景

3枚目・・・受精の瞬間

4枚目・・・戴いて来た受精卵 生まれて欲しい!!







2014/12/06 21:03:00|活動報告
フィールド観察授業 (母なる川への帰還 鮭の一生を見つめる1)

いやあ、師走に入った途端に、寒い日が続きます。
皆さま、体調管理にはくれぐれも、お気を付け下さい。
かなりご無沙汰の更新であります。
何卒、ご容赦下さい。

さて、当方が講師に赴いている、
妙高の専門学校の、後期の担当授業が始まりました。

その一つに、一年生ほぼ全員と、
野生生物保全学科の2年生が受講する、
『フィールド観察』の、授業があります。

昨年までの後期授業の内容は、
10月に干潟に近い環境での、
ベントス(底生生物)調査を行って居りましたが、

今年度は、兼ねてより実施を熱望していた、
日本海への鮭の遡上の観察授業が、
その川の漁業共同組合様のご協力により、
ついに実施できる運びとなり、
11月21日の金曜日に、念願が叶いました。

ここでは敢えて、K川と記す事に致します。
K川は、学校から1時間程で到着できる川なのですが、
毎年、この川へ多くの鮭が、
長い旅の終焉を迎える為に、帰って来る母なる川です。

現地に着いて川を覗き込むと、
もう既に鮭の姿を、たくさん見る事ができました。
母なる川へ戻って来る目的は、ただ一つ。
そう。産卵して、種の命を繋ぐ事―。

只それだけの為に、ここへ帰って来るのです。
そして、産卵を終えると、
鮭は、全ての力を使い果たし、一生を終えるのです。

しかし、そんな鮭の生態は知ってはいても、
なかなか間近で、その姿を見る事はできませんから、
自分も含めて、大半の学生も、先生も、
初めての体験です。

川底には、既に命絶えた個体が、
静かに身を横たえていたり、
またある個体は雌に追尾して、
産卵を促したりしている光景が、
直ぐ目の前で展開されている様は、
只々、神々しくて、涙するほど神聖な姿です。

自分も学生達に、状況を説明しながらも、
目はその姿に釘付けでした。

暫く、そんな姿を観察した後、
漁協の方達が川に入り、投網で鮭を捕獲する、
『鮭漁』を、見せて戴きました。

但し、ここからが大事なのですが、
川で鮭を採捕する行為は、
国の法律である『水産資源保護法』や、
都道府県の条例である、『(内水面)漁業管理規則』で、
厳しく禁止されている為、
一般の人は、絶対に採捕してはならないのです。

このK川の漁協でも、
採捕を許されている方は、僅か10名なのだそうです。
当然、命絶えた個体であっても同様で、
違反すれば、罰金や、懲役刑も適用されます。
知らなかったでは済まされないので、
釣りなどで採捕する事は、
それが『調査』として、
認められている河川以外では、
絶対に慎んで下さい。

さて、網を打つと、早速、
2尾のつがいが掛って来ました。

雄は体に婚姻色が浮き出て、
皮は硬く黒ずんで、上あごが下あごに被さる、
いわゆる「鼻曲がり」に、なります。

雌のお腹は、ぷっくりと膨らんで、
その中に、いっぱいの卵(イクラ)を抱えています。

やはり、種を永久的に保存、保全していく為には、
全て自然の力だけでは、
余りに天敵が多すぎて、難しいのです。

人が関わり、管理することで、
鮭は守られ、また再び、この川で生まれ、
この川へ帰って来るのです。

鮭の旅は、おおよそ四・五年なのですが、
中には、七年もの歳月を経て、
戻って来る個体もあるそうです。

K川を出た鮭は、日本海を北上し、ベーリング海に達し、
そこで、体力を蓄えながら、
母なる川へ戻る事に備える訳ですが、
海洋部では、当然「鮭漁」は、認められて居り、
母川回帰率は、僅か0.3%なのだそうです。
単純に、1000尾居て、3尾しか戻って来れないと云う
正に命がけの旅であり、
今日ここで観た鮭たちは、そんな凄い旅を、
この母なる川で終えるのです。

悠久の昔から変わらない、この自然の営み―。
そして、それを支え、保全する人間―。
こうして、命が次の世代に繋がって行く事を、
正しく実感できた授業となりました。

次回は、種苗を守る為の、
K川の漁協の取り組みなどについて報告致します。
暫し、お待ち下さい。

写真は上から、
1枚目・・・母なる川に戻って来た鮭たちの姿、
      見えますか?

2枚目・・・鮭の採捕 (投網が広がっています)

3枚目・・・採捕された個体 上が雌。下が雄

4枚目・・・目の前で繰り広げられる雄姿に皆、感動!!







2014/09/16 21:58:14|その他
やまなし少年海洋道中 2014レポート 10 (君たちあればこそ)

皆さん、今日の昼間の地震には、
きっと驚かれた事と思います。

山梨での震度は、ほぼ3でしたが、
結構グラっと来ましたし、
ゴーッっと、云う様な地鳴りも聞こえました。

何にせよ、日頃からの備えが必要ですから、
慌てずに行動して下さいね。

では、再び海洋道中のレポートに戻ります。
期間中の報告は、これで終わりになるので、
区切りとして、この事業の最大のヒーロー達を、
紹介させて下さい。

子供たちの身近で、いつも支援し、
善き理解者として支え続ける、
5人の学生ボランティアリーダー達です。

この事業は、本当に彼らの活躍がなければ、
絶対に成り立たない事業でもあります。
子供たちの気持ちに寄り添い、
最も信頼できる、兄弟・姉妹の様な存在が彼らです。

ボランティアリーダーになる条件は、
先ず、学生であること。
そして、期間中及び、研修に必ず参加できること。
これが必須条件ではあるのですが、

彼らがリーダーになった動機は様々です。
過去に、参加者としてこの事業に参加して、
リーダーとして、再び戻って来た者。

個人的な繋がりの中で、声を掛けられ興味を持ち、
リーダーの大役を買って出てくれた者。

そして、一度リーダーを体験して、
自らのキャリアアップ、スキルアップのために、
リーダーを継続してくれる者・・・。

とにかく、彼らの現地での日々は多忙です。
班によっては、子供たちとの関係を築くのに、
時間が掛ってしまう者もいます。

それでも、懸命に子供に向き合う事で、
信頼を築いていきます。
その姿は、毎年とても美しく、
誇らしげに見えます。
きっと、自身が成長している事に気付くからでしょう。

そんな彼らと共に過ごす時間は、
とっても刺激的で、魅力的です。

どんなに歳を重ねても、ずーっと、
リーダーと、参加者の距離は一緒で、
直ぐに八丈で繋がる事ができるのです。

そんな彼らに最大限の感謝を、
そして、希望に満ちた将来を、願わずにはいられません。

今年も、本当にありがとう。

君たちあればこその海洋道中だよ。

写真は上から

一枚目
乗船前の底土港にて、N氏と団長を囲んでパチリ

二枚目
レセプションの夜
子供たちに思いの丈を伝えたリーダーたち

三枚目
無事に竹芝桟橋に到着!!
万感の思いを込めて円陣を組んだ5人でした。







2014/09/15 20:54:09|活動報告
やまなし少年海洋道中 2014レポート 9 (橘丸離岸)

三連休の最終日、いかがお過ごしだったでしょうか?
今日は「敬老の日」。
人生の先輩方を敬い、
そして、家族の絆を確認する日です。

海洋道中もまた、多くの先人の方々が、
ご苦労と努力と、知恵と、
子供達への深き愛を集めて、今のプログラムがあります。

毎年、我々が歌う、海洋道中『愛のテーマ』は、
八丈島で、子供たちが体験する日々を、
まんま歌詞にしてあります。
だからこそ、体験が身体に、心に、
歌声とともに沁み込むのです。
とっても素敵な曲です。

ところで、台風11号の影響で、
一日早い、「離島の日」を、迎えましたが、
我々を乗せて帰る橘丸の出船時間は、
当初の予定より早くなり、
朝の予定がバタバタとなりました。

離島式も、いつもだったら、
少しのんびりできる底土港での時間も慌ただしく、
急かされる様に、橘丸に乗りこみました。

来る時には乗れなかったこの船、
かめりあ丸に比べて、先ずは大きい。
そして、当然ですが広くて、綺麗です。
船室もフラットで新しく、ビックリしました。

自分の席に荷物を降ろして、
真っ先に向かったのはAデッキ。
7日間お世話になった八丈島に、
お別れを告げるのです。

岸壁には、お世話になった方々が、
皆さん見送りに来て下さっています。

「また来るね〜!!」
大きく手を振って、感謝の気持ちを伝えました。

船が大きいだけに、離岸はゆっくり慎重です。
橘丸が、ゆっくり、ゆっくり、
岸壁から離れ、東京に向けて進み出しました。

島では「さよなら」は、言いません。
その代わり「おもうわよ」と、伝えます。
「またいらっしゃい、いつでも思ってるよ」
そんな意味の言葉です。

そして、見送る人の姿が、
小さくなって来た時、
今度は、ボート隊が追い掛けて来てくれました。

あらん限りの力で手を振って、
「ありがとう!!」って、声を出し続けました。

子供たちにとっても、
ここが、第二のふるさとになったのです。
だから、「また来るね〜!!」
この瞬間が、とても愛おしいですよね。

御蔵島・三宅島の辺りは、既にうねりが5メートル。
台風は、やはり確実に近付いていました。
途中、明日の欠航が決まり、
我々は、滑り込みセーフで、
家族の待つ山梨へ帰る事ができたのです。

写真は上から

一枚目
お世話になった方々に力いっぱい手を振りました。

二枚目
追い掛けて来てくれたボート隊にも・・・

三枚目
橘丸を追い掛けて来てくれたボート隊